中島岳志「親鸞と日本主義」を読む

著者の中島さんの顔は、テレビ朝日の報道ステーションで何度か見たことがある。

コメントの内容そのものはあんまり賛成できないことが多かったものの、柔らかな物腰は好印象だった。まあ、彼の思想やコメンテーターとしての評価は横に置いておく。著作物はなかなか好評らしく、『血盟団事件』などは書店や雑誌でもけっこうプッシュされていたように思う。

で、この『親鸞と日本主義』。

本の裏表紙には、非常に魅力的なキャッチコピーが踊る。

いわく、「なぜ"南無阿弥陀仏"は、ファシズムと接続したのか――」

これは絶対に読まなければと思って読んだのだが、はっきりいって、ちょっと期待外れだった。

 

 

まず、この本の構成がわかりにくい。

時系列順の構成ではなく、各人物ごとに章を区切ったエピソード集になっていて、第一章では三井甲之を、第二章では倉田百三を、第三章ではマルクス主義転向者を、第四章では吉川英治を、第五章では真宗大谷派の僧侶たちを扱い、それぞれの人物がどのようにして親鸞の思想を国学に一致させたのかを紹介している。

公平にいっておけば、このエピソードそれ自体は非常に興味深い。著者の筆致は優れていて、グイグイと読ませるものがある。歴史を題材にした本にありがちな断罪的な口調はなく、あくまでその人物に寄り添いながら、いかにして親鸞思想が日本主義に取りこまれていったのかを追っている。読み物としてはとてもおもしろかった。

しかし、全体の見取り図がつかみにくいのだ。

こういう、いわゆる列伝形式の構成は、書く方は特定の人物だけに集中すればいいから楽だし、読んでいる方もふむふむと読み進められるのでそれなりに楽しいのだが、いざ読み終わってみると、具体的な時代の変遷というか、出来事と出来事の因果関係や前後関係などを自分で再構成しなければいけないのでめんどうくさい。

たとえば、第一章では三井甲之と『原理日本』が主題になっているのだが、この三井が親鸞の教えに触れたのは、近角常観という浄土真宗の僧侶が開設した求道会館という修行場においてである。この近角が洋行中に留守にした家を借りて浩々洞という私塾を開いたのが清沢満之。清沢は東京帝国大学で西洋哲学を学んだ真宗大谷派の僧侶であり、彼のもとには暁烏敏、曽我量深、金子大栄といった新たな教学を研究しようとする若き僧侶が集った。そして、この暁烏敏こそ、あの「歎異抄」をこれほどメジャーにした人物であり、第五章(!)で主題となる「真宗大谷派の戦時教学」を支え、大谷派を戦時下日本の体制に一致させた人物なのだ。

ちょっと混乱してきたが、早い話がこういうことだ。

一方に清沢→暁烏というラインがあり、もう一方で近角→三井というラインがあった。暁烏三井は、それぞれの領域で親鸞思想と日本主義を接続させ、戦時下の翼賛体制を擁護した本書の重要人物である。暁烏三井とに直接的なつながりはないものの、実は清沢⇔近角というラインで両者はつながっているというわけだ。こういうことを、著者の中島は終章になってようやく語る。それも、かなり急ぎ足で。

だったら、はじめから清沢と近角の関係から始めればいいじゃないか。

そのほうが一本の筋が通ったストーリーになり、はるかに全体を把握しやすいはずだ。

 

次に、これは根本的な疑問なのだが、著者の問題設定に疑問がある。

序章を読む限り、この本が書かれたのは非常に個人的な動機によるものらしい。

学生時代の中島は、吉本隆明の講演会に参加し、そこでのやりとりをきっかけにして親鸞思想に触れ、以後、親鸞の教えを人生の指針に据えるようになる。しかし、その親鸞の教えが国粋主義者である三井甲之に援用されていることを知り、衝撃を受ける。いや、三井だけではない、倉田百三もまた親鸞思想によって日本主義を肯定していることに気づく。こうして中島は、「親鸞思想には、危険な方向にからめとられる要素が間違いなく含まれている」(P26)との結論にいたる。

この結論の末に書かれたのがこの本であり、その目的を中島は次のようにまとめている。

私は、あえて問うてみたい。

「親鸞思想そのもののなかに、全体主義的な日本主義と結びつきやすい構造的要因があるのではないかと」と。

そして「その思想的危険性を顕在化させたのが、大正から昭和前期の親鸞主義者なのだとすれば、彼らの議論に遡行することで浄土真宗の信仰が内包する危うさを見つめ直す契機となるのでないか」と。

保守主義者であり親鸞主義者である中島にとって、この問題は他人ごとでなく、まさに自分自身に突き付けられたアクチュアルな問題である。はたして、親鸞思想そのものに危険な要素があるのかどうか。いよいよ終章において、この問いへの答えが明らかにされる――のだが、なんというか、それが非常にあっさりとした調子なのだ。さっきまでの熱っぽい筆致はどこへやら、妙に冷静な文章でさらっと結論が書かれる。どれだけあっさりしているかといえば、全部で297ページある本文のうち、この問いに触れた終章はわずか12ページしかないという具合である。

その結論も、なんというか拍子抜けするような感じ。

親鸞思想はなぜ日本主義と結びついたという問いそのものが無効で、そもそも日本主義の土台となったのは国学で、その国学の論理を作った本居宣長は浄土真宗の家の生まれであり、彼の思想には明らかに親鸞の他力の考えが入っていた。だから国学には親鸞の思想が染み込んでいて、まあ、ようするに、親鸞思想に慣れ親しんでる人は国体論や日本主義にも親しみやすい、だってそもそも国学のベースに親鸞の他力思想があるんだからという話だった。

うーん・・・という感じである。

たしかに構造的要因はあった。

しかし、そもそも、構造的要因は果たして重要なのだろうか。

というか、これって構造的要因といえるのだろうか。

「危険な方向にからめとられる要素が間違いなく含まれている」といえばそれはそうだが、それはすべての宗教にいえることで、事実、宗教は過去から現在まで戦争の火種である。

この本を読む限り、三井甲之や暁烏敏といった人物は例外的な人物だ。

仮に親鸞に出会わなくとも、彼らはそのときに出会った宗教――それがキリスト教であれ、イスラム教であれ、日蓮宗であれ――を時局に応じて援用し、適当な論理をこしらえて体制を擁護していたんじゃないだろうか。

仮に構造的要因なのだとすれば、当時の親鸞主義者はもっと体制翼賛的であるべきだが、第五章を見る限りでは、大谷派の僧侶のなかには、暁烏に反対する人物もいたではないか。

三井や暁烏が日本主義に接近したのは、親鸞主義の持つ構造的要因などではなく、もっと個人的な要因だったような気がする。

 

いろいろと知らなかった歴史的事実を知れて勉強にはなったし、読み物としてはおもしろかったのだけれど、どうもしっくりこない一冊だった。